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老いを感じたとき(1) プロローグ

タイのブログ-タイ情報とコラム

老いを感じたとき(1)

プロローグ

今日はタイの話、タイの情報ではなく、
自分自身の記録、私的な日記です。

子どもの頃は、

子どもと大人にはきっと境目があって、
そのうち、大人に成れると思っていた。

子どもの頃は、

人の子ども、大人、老人という過程を、

子ども = 完成されていない未熟な者

大人 = 社会人として完成した偉い人

老人 = 老い朽ちて、役目を終えた人

そんな認識で、人の一生を描いていて、
大人がやたら大きく、偉そうに見えた。
鍛錬して、大人に成ろうと思っていた。

中学生の頃、

身近に居た大人、厳格な父親と母親に、

幼稚な事はやめなさい

早く、大人に成りなさい

とよく言われたものだが・・

そんな自分を変えられないまま成長し、
大学を卒業して、社会で働き始めた。

僕には、子どもと大人の境目が無くて、
子ども心に描いた大人に成れなかった。

高校・大学で、社会で働くための知識と、
世渡りのテクニックを身につけてきたが、
概ね、影響を受け、流されていたと思う。

六本木族の4年間は人間観察の場。
ゴージャスなお嬢様たちとの出会い。

大学時代の関心は、外見でも音楽でも、
いかにクールで、カッコイイかであった。

文学と哲学に傾倒した中学時代以降は、
僕の内面的な成長は無かったと思える。

社会人になると、

仕事に於いては、義務と責任を果たして、
人に役立つように、社会への貢献を願い、
心掛けてきたが、自分の内面は変化無し。

僕の仕事への情熱は、楽しいから熱中。
ポケモンをレベル100まで育てることを、
娘と競っていたことと変わりない感じで、
己の創造力の実現の場として楽しんだ。

それが形になって、世に出るのだから、
止められない、止まらないという感じで。

僕は子どものまま、人生の転機を迎えた。

タイに来てからは、

自分の中の価値観の変化を楽しみつつ、
サムイライフで、精神的な生活が増えた。

それでも、大人らしくなることは無かった。
寧ろ、中学生の頃の思考に戻っているか。

50歳を過ぎても、10代、20代の若者と
ボールを競い合い、本気で楽しんでいる。

僕には、子どもと大人の境目が無かった。
僕は、50歳を過ぎても、大きな子どもだ。

そんな僕でも、老いを感じるという出来事で、
少しずつ、自分の内面が変わってきている。
それを、これから書いて行こうと思います。

(続く)