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老いを感じたとき(3) 「若き」と「老い」には境目がある

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老いを感じたとき(3)

「若き」と「老い」には境目がある

今日も自分自身の記録、私的な日記。

子どもと大人の境目は無かったが、
「若き」と「老い」には境目があった。

「老い」を感じた出来事とは、
50歳を迎えようとしていた数か月前に、

突然、目が霞んで、本が読めなくなった。
これが「老い」の境を感じた鮮明な記憶。

人間五十年、

下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。

「敦盛」の句が頭をよぎった。

人生で初めて、「老い」を感じたときだ。
僕にとって、とてつもなく、大きなショック。
身体の機能が劣化して壊れてきたのだ。
人の機能の生物学的な寿命は50年か。

爺くさいので、老眼鏡は持ち歩かないが・・
レストランに行くと、メニューが読めない。
銀行で記帳しても、金額が見えない。
電話料金のチャージも、自分でできない。

最初に起きた、自分の内面の変化は、
サイと外出しても、介護付き老人の気分。
遺書を書いたほうがいいかな。

歳をとったら、人前には出ない方がいい。
昔のエスキモーなら、捨てられているぞ。
そんな考えが頭をよぎるようになって・・
「老い」を感じ、負のスパイラルに陥った。

「老い」を感じると、反応が鈍くなるのか、
身体機能の低下にも、連鎖が起こった。

フットサルで言えば、
今までより、ボールが強く蹴れなくなる。
間に合っていたボールに、届かなくなる。
球際を競うスポーツでは、半歩の遅れで
ボールを失い、自信を喪失してしまうのだ。

「老い」を感じて、負のスパイラルに2年。
最近、やっと、その脱出法が見えてきた。
自分の内面に、新たな変化が生じたのだ。

(続く)